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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)6159号 判決

原告 李炳珪こと岡本三郎

被告 株式会社グリーンキヤブ

主文

被告は原告に対し、金二百四十万円と、これに対する昭和三十年三月五日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払うべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、原告が、金百万円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因として、かつ被告の抗弁に答えて、つぎのとおり述べた。

原告は被告(旅客自動車による運送事業等を営業とする株式会社)に対し、返済期を貸付の日から一カ月以内とする約で、つぎのとおり金員を貸付けた。

貸付年月日     金額

(一)  昭和二九、 九、一七  五〇万

(二)  〃    一一、二〇  三〇

(三)  〃    一二、 一  九〇  これを限り準消費貸借

(四)  〃    一二、一三  二〇

(五)  〃    一二、二一  三〇

(六)  昭和三〇、 一、二〇  一〇

(七)  〃    一一、二〇  一〇

(三)の九十万円は準消費貸借契約による貸付金である。すなわち、原告は昭和二十九年八、九月頃被告の依頼によつてフオルクスワーゲン一台を買受けて(買受人名義は被告の名義を借りて)、これを被告に営業用車として使わせることを約し、被告は原告に対し、毎月、右自動車稼動による純利益(稼動金から運転手の給料その他の費用を控除したもの)のうち金十万円を支払うことを約した。この月額金については一カ月の純利益が十万円に満たない場合においても十万円を支払う約であつた。しかるに、被告は同年十月、十一月にわたつて右自動車を稼動させ月額十万円以上の純利益をあげたのにかかわらず、原告に対しては全然約束の金を支払わなかつた。そこで昭和二十九年十二月一日原被告が話合いのうえ、原告が右自動車を代金八十万円で被告に売渡し、その代金と被告から原告に支払うべき同年十一月末までの前記純益金十万円(これだけにとどめることに約定ができた)とを合せた金九十万円につき、返済期を一カ月後とする準消費貸借を締結した。

なお、のちに述べるように、原告は昭和二十九年十二月二十日被告会社の取締役になつたのであるが、商法二六五条の取締役会の承認なるものは取締役が会社に金銭を貸付ける消費貸借契約の効力発生の積極的要件ではないから、前記(五)ないし(七)の消費貸借につき取締役会の承認があつたということについては原告は特に積極的には主張しない。

ところが、被告は返済期がすぎても右(一)ないし(七)の金員を返さないから、被告に対し、その合計金二百四十万円及びこれに対する弁済期後の昭和三十年三月五日から完済に至るまで商事法定利率年六分(前記貸借は被告の営業のためにする商行為であるから)の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告の抗弁事実のうち、原告が、昭和十九年十二月二十日、被告会社の株主総会で選ばれて、その取締役になつたことは認めるが、その余の事実は争う。

かように述べ、立証として、甲第一ないし第十号証を提出し、証人大林宗吉(第一回)、李宗珪の各証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)を援用し、「乙第七号証が原告が使つていた名刺であることは認める。乙第五、六号証の各一、二のうち原告作成名義の部分が真正にできたことは否認する。その他の部分及びその余の乙号各証が真正にできたかどうかは知らない。」と述べた。

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する旨の判決を求め、つぎのとおり答弁した。

原告主張の事実は否認する。原告主張の金員のうちのあるものはもと被告会社の取締役であつた大林宗吉が原告から借受けたもののようである。

仮りに原告主張の(一)ないし(四)の借受金債務を被告が負担したとしても、それは昭和二十九年十二月二十日に消滅した。すなわち、昭和二十九年十二月十八日被告会社の取締役大林宗吉、平沼孝之、山本洲嗣の三名と原告とが協議の結果大林の権利に属する被告会社株式一万五千株を原告に譲渡し原告を被告会社の取締役に選任することによつて原告が被告の右債務を免除する旨の合意がととのい、右三名はその直後被告会社の株式一万五千株(成馬辰造名義)を原告に譲渡し、同月二十日の被告会社の株主総会で原告が取締役に選任された。したがつて右(一)ないし(四)の債務は消滅した。

かように述べ、立証として、乙第一号証の一ないし三、第二号証の一、二、第三号証の一ないし二十五、第四、五号証の各一、二、第六号証の一ないし三、第七、八号証を提出し、証人中根通、平沼孝之(第一、二回)大林宗吉(第一ないし第三回)の各証言を援用し、「甲第一ないし第七号証が真正にできたかどうかは知らない。その他の甲号各証が真正にできたことは認める。」と述べた。

理由

原告主張の(三)の準消費貸借の点を除くその他の消費貸借が、原告と被告との間にできたかを、考える。

甲第一、二号、同第四ないし第七号証(いずれも、証人大林宗吉第一回、同中根通の各証言によつて真正にできたと認められる)と証人大林宗吉(第一ないし第三回)、平沼孝之(第一回)、中根通、李宗珪の各証言、原告本人の供述(第一、二回)とを合せ考えると、原告と大林宗吉(被告会社の代表取締役)との間に、金を貸そう、借りよう、という話合いができて、原告主張の頃、原告主張の金員が、主として東京都新宿区下落合三丁目一三九九番地なる被告の営業所で原告から大林に渡され、一回ほど原告方で原告から被告の経理係中根通に渡され、結局全部被告の会計にはいつたことが認められる。

証人中根通、大林宗吉(第三回)の各証言の中には右の認定に符合しない部分もあるが、これは採用することができない。ほかに右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

問題は、これらの金員、特に原告から大林の手に渡された金員について、消費貸借は、原告と被告との間にできたか、または原告と大林個人との間、ついで大林個人と被告との間にできたかである。一般的にいえば、そのいずれの場合もありうること、いうまでもない。

ところで、(一)証人大林宗吉の証言(第一回)と原告本人の供述(第一回)とによると、原告と大林は朝鮮出の同郷人で当時相当親しくしていたことが、(二)原告本人の供述(第二回)によると、大林は当時間借りの二階住いをしており、その個人財産として特にあげるに足りるほどのものをもつていなかつたことが、(三)甲第八号証(真正にできたこと争いなし)と証人大林宗吉(第一、二回)、同平沼孝之(第一回)、同李宗珪の各証言とを合せ考えると、被告会社は自動車による旅客運送事業を営み、当時代表取締役は大林宗吉一人だけであり、大林は事業面のことはよくわからず、もつぱら金融(営業資金の融通を受ける)面を担当し、事業面は主として取締役平沼孝之や李宗珪が担当していたことが、(四)証人大林宗吉の証言(第一回)、原告本人の供述(第一回)を合せ考えると、当時被告会社は人件費の支払や事業資金にこまり、したがつて大林は被告会社のために使うつもりで原告に金の融通を申込んだのであり、原告も、被告会社が自動車十九台ほどを所有し、ある程度の実力をもつていると考えたので、被告に貸すつもりで前記の金を出したことが、(五)そして最後に、証人大林宗吉(第一、三回)、同中根通、原告本人の各供述を合せ、前記甲第一、二号証、同第四ないし第七号証と対照して考えると、前記金員が被告にはいつたとき、またはその後間もなく、大林は被告の経理係に指示し、大恵自動車交通株式会社(被告の当時の商号)代表取締役大林宗吉名義、岡本三郎宛の領収書または借用証を作らせて、原告に差入れたことが、それぞれ認められる。

証人中根通の証言のうち右(五)の認定に反する部分は採用することができない。ほかに右各認定を動かすことができるほどの証拠はない。

以上認定のような諸事実があつても、原告と大林とが、特に、大林個人に貸そう、大林個人が借りようということで金の授受をしたのであれば、原告との消費貸借契約における借主は大林個人であると認めなければならないが、さもないと、右の諸事実がそろつている以上、前記金員は被告会社が原告から借りたとみるのが自然なみかたである。

この点について証人大林宗吉の証言するところを検討する。同証人は当法廷で三回証言し、第一、二回には前記金員は被告会社が原告から借りたと、ほぼ同じ趣旨のことを述べているに反し、第三回には、前記金員は大林個人が原告から借りたと、反対のことを述べている。この証人が「被告会社が借りた」とか「大林個人が借りた」とかいつている部分は、主としては結論的なことを言つているのに過ぎないのであつて、さまで重要視する必要はない。「大林個人が借りた」といい、「被告会社が借りた」ということは、いわば口では何とでもいえることである。しかも、大林証人のいうところによると、大林は、はじめは、前記借金の責任を被告会社に押しつけ、大林の個人責任はのがれたいと考えて、うその証言をしたというのである(第三回証言)。その申しひらきは一応筋が通らぬわけではないとしても、宣誓しながらそんな気持ちで二度まで同じ証言をした者は、またどんなはずみに別のどんなうその証言をしないとも限らないのである。果して、大林証人の第三回の証言によると、右第二回証言と第三回証言との間の昭和三十三年十月頃、大林は原告に金五十万円ほどの金借を申込んでことわられて不満の念をいだいたことが認められる。原告がこころよく大林の申込みに応じたとしてもなお大林は前の第一、二回の証言をひるがえしたろう、と果していいきれるであろうか。そもそも、大林証人の尋問にあたつては訴訟代理人も裁判官も大変苦労しているのである。同証人の答えが、的はずれであつたり、何となくぼんやりしていたからである。かようないきさつに照して、当裁判所は、大林証人の第一、二回の証言を何から何まで信用するわけではないが、同証人の第三回の「本件の金は大林個人が原告から借りた」という証言は採用に値いしないものと判断する。

証人平沼孝之(第一回)、同中根通の各証言のうちさきの認定に反する部分も採用することができない。

また、前記甲第一、二号証、第四ないし第七号証の中には領収書であるものと借用証であるものとがあり、「証」と題したものが五通、「仮証」と題したものが一通あり、被告会社代表取締役大林宗吉名下に捺印のないものが一通あつて、被告が原告から金を借りたことを証する書面としては不揃いであり、一部は不完全であるとさえいえるが、しかし、右の金員の授受に関して被告から大林個人宛には全然証書がはいつていない(証人大林宗吉の第二回の証言によつて認められる)のであるから、不完全ながら前記証書が原告にはいつているということは、右金員を被告が原告から借りたという事実を推測させるに役立つものということができる。

乙第四号証の一、二(弁論の全趣旨により被告の帳簿であると認められる)と証人大林宗吉の証言(第三回)とによると、前記六口の貸借は原告からの借りとして被告の帳簿に載つておらず、そのあるものはむしろ大林社長からの借りであるかのように被告の帳簿に載つていることが認められるが、証人中根通、大林宗吉(第一、二回)の各証言を合せ考えると、被告関係の帳簿には社長大林宗吉は全然関係せず、前記貸借に関する権利関係に詳しくない経理担当の社員が帳簿の記載をしたために右のようにずさんなことになつたことが認められるから、帳簿の記載が右のようになつていることはさきの認定のさまたげになるものではない。この認定に反する証人大林宗吉第三回の証言は採用することができない。

また乙第二号証の二は、乙第二号証の一(証人平沼孝之の第一回の証言によつて真正にできたと認められる)と証人平沼孝之(第一回)、同中根通の各証言とによると、昭和三十年九月、大林宗吉(大恵自動車交通株式会社といつていた当時の被告の代表取締役)が被告会社の株式を、被告会社がその財産を、高野将弘に譲渡することに関する契約(いわゆる被告会社を売渡すことに関する契約)をした際、被告会社の債務を表にしたものとして高野将弘に渡した書面で、被告会社の経理係中根通の書いたものであることが認められる。この乙第二号証の二には原告からの借りとして前記六口の債務が載つていない。しかし、さきにふれた被告会社の帳簿の記載は必ずしも完全なものということができないこと、証人大林宗吉(第二回)、同中根通の各証言によつて明らかな大林宗吉は乙第二号証の二の作成には関与しなかつたこと、証人李宗珪の証言によつて明らかな被告会社の債務でほかにも乙第二号証の二の記載からもれたものがあることを合せ考えると、乙第二号証の二の記載に前記六口の債務がもれたことは、被告が原告から右債務を負担したことがないことをあらわすものとして必ずしも十分なものでないということができる。

その他に前認定をくつがえすに足りる証拠はない。

つぎに原告主張の(三)の九十万円の準消費貸借の点について。

甲第三号証(証人大林宗吉第一回、同中根通の各証言によつて真正にできたと認められる)と証人大林宗吉(第三回)、同李宗珪の各証言、原告本人の供述(第二回)とを合せ考えると、つぎのとおり認められる。

昭和二十九年八、九月頃原告は被告の代表取締役大林宗吉の依頼によつてフオルクスワーゲン一台を被告の名義を借りて代金八十万円ほどで買受けた。そしてこれを被告に営業用車として使わせることを約し、被告は原告に対し、毎月、右自動車稼動による純利益のうち金十万円を支払うことを約した。その後昭和二十九年十二月一日、原告と被告代表取締役大林宗吉とが話合いのうえ、原告が右自動車を被告に譲渡し、その代金と被告が原告に支払うべき前記純益金とを合せた金九十万円(これだけにとどめることにし)につき返済期を一カ月後とする準消費貸借契約を締結した。

かように認めることができる。証人大林宗吉の第三回の証言のうちこれに反する部分はとうてい信用することができない。

乙第四号証の一、二、同第二号証の二などについて説明したところはこの(三)の九十万円の貸借に関しても同じである。

ところで、原告が昭和二十九年十二月二十日被告会社の取締役になつたことは原告の認めるところであるから、原告主張の(五)ないし(七)の貸借は原告が取締役になつたのちに原告と被告との間に生じたことになる。しかし、証人大林宗吉の証言(第一回)、原告本人の供述(第一回)とによると、右貸借は利息の定めのないものであることが認められる。無利息で金を借りることは被告会社にとつて少しも損でないから、右(五)ないし(七)の貸借については商法二六五条の適用はない、と当裁判所は考える。

結局、被告は原告に対し、原告主張の(一)ないし(七)の貸借にもとづく債務を負担したわけである。

よつて被告の抗弁について判断する。

原告が昭和二十九年十二月二十日の被告会社の株主総会で選ばれてその取締役になつたことは、原告も認めている。

そして、乙第一及び第三号証の各一ないし三(証人大林宗吉第二回の証言と弁論の全趣旨とによつて真正にできたと認められる)によると、大林宗吉(被告の代表取締役)は、原告に被告会社の取締役になつてもらうにあたり、大林の権利に属する被告会社の株式一万五千株(成馬辰造名義)を原告に譲渡する気になり、被告会社においてもその内部における処理として書類の上でその手続をふんだことが認められる。

しかし、右の株式を譲受け被告の取締役になることによつて原告が前記(一)ないし(四)の貸借債務を免除する旨の意思表示をしたということについては、この点に関する証人平沼孝之(第一回)同大林宗吉(第三回)の各証言は、甲第一ないし第七号証が原告の手に残つていることと、証人大林宗吉(第一、二回)、同李宗珪の各証言、原告本人の供述(第一、二回)とに照して、信用することができず、ほかにこれを認めることができる証拠がない。

かえつて、証人大林宗吉(第一、二回)、同李宗珪の各証言、原告本人の供述(第一、二回)を合せ考えると、被告は原告の援助を期待して原告に取締役の地位を与えたが、原告に対して前記一万五千株の株券を呈示することはせず、原告も被告会社の一万五千株の株主であるという自覚は全然もたず、本件債務を免除することなどとうてい思い及ばぬことであつたこと、乙第六号証の三の内容は原告は全然見ていないことが認められる。

被告の抗弁は失当である。

してみると、被告は原告に対し、前記七口合計金二百四十万円と、これに対する返済期後である昭和三十年三月五日から完済に至るまで商事法定利率年六分(本件貸借は商事会社である被告の営業のためにする商行為であるから)の割合による遅延損害金を支払う義務を負うものといわなければならないから、原告の請求を認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義広)

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